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福岡地方裁判所 昭和47年(行ウ)15号 判決 1977年11月18日

原告 北九州市

右代表者交通事業管理者交通局長 徳永嘉雄

右訴訟代理人弁護士 苑田美穀

同 山口定男

同 立川康彦

原告指定代理人 光永俊司

<ほか三名>

被告 福岡県地方労働委員会

右代表者会長 副島次郎

右指定代理人 進藤英輝

<ほか三名>

参加人 北九州市交通局労働組合

右代表者執行委員長 中島定樹

右訴訟代理人弁護士 谷川宮太郎

同 吉田雄策

同 石井将

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が、福岡労委昭和四二年(不)第二六号不当労働行為救済申立事件について、昭和四七年四月二六日付でなした「北九州市交通事業管理者交通局長芳賀茂之は、昭和四二年八月二日付行なった中島定樹、菅坂弘之、別城登に対する停職六ヵ月、矢野満敏、山田加寿彦、小林博司、山田洸義、脇岩男に対する停職三ヵ月、丸山靖雄、田中康信、川原憲治、山本和夫に対する停職一ヵ月、末次五郎に対する戒告の各懲戒処分を取消し、同人らに対する賃金および処遇面において、上記の懲戒処分がなかったのと同様の状態を回復しなければならない。」旨の命令を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する被告の答弁

主文同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  参加人は、不当労働行為に該当する行為(違法懲戒処分)があったとして、昭和四二年九月八日、被告に対して訴外北九州市交通事業管理者交通局長芳賀茂之(当時)を被申立人とする救済の申立をなし(福岡労委昭和四二年(不)第二六号不当労働行為救済申立事件)、被告は、昭和四七年四月二六日付で、右被申立人にあて、前記請求の趣旨に記載の如き主文の命令を発し、この命令書は、同月二八日、右被申立人に交付された。

2  しかしながらこの命令は、以下述べる如き理由により、重大かつ明白な瑕疵があって無効である。また、仮りにそうでないとしても事実誤認ないし法律判断を誤った違法がある。

よって、原告は、その取消しを求める。

3  被申立人適格なき者に対する命令

本件救済申立は、前記の如く訴外北九州市交通局長を被申立人として申立てられ、被告はこれに基き審理をしたうえ、同訴外人に対して救済命令を発した。

しかし、本件において使用者は原告であり、原告が被申立人適格を有するものであって、訴外北九州市交通局長はこれを欠く。被告はその判断を誤ったもので、この命令は、重大かつ明白な瑕疵を有し、無効である。

4  仮りに、右主張が容れられないとしても、本件救済命令は事実関係を誤認し、法律上の判断を誤った違法がある。

(一) 訴外北九州市交通局長は、原告が、地方公営企業法(以下地公企法という)の適用をうける地方公営企業として経営する自動車運送事業(交通事業という)の管理者(同法七条)である。

交通局は、同法第一四条により、交通事業管理者の権限に属する事務を処理させるため、原告が設置している。

訴外中島定樹、同矢野満敏、同小林博司、同菅坂弘之、同別城登、同脇岩男、同山田洸義、同田中康信、同川原憲治は旅客自動車運転者、訴外山田加寿彦、同末次五郎は一般事務員、訴外丸山靖雄は旅客自動車整備士、訴外山本和夫は自動車車掌として、それぞれ原告に雇傭され、北九州市交通局に勤務していた一般職に属する地方公務員である。

右中島ほか一二名の訴外人ら(以下一括表示するときは訴外中島ほか一二名という)を含む交通局職員は参加人北九州市交通局労働組合(以下北九交通労組ともいう)を組織し、訴外中島は執行委員長、訴外小林は書記長、訴外矢野、同山田(加)は副執行委員長、訴外山本は中央委員、その余の八名の右訴外人らは執行委員であった。

訴外中島ほか一二名は、前記の通り北九交通労組の役員であるが、北九交通労組は昭和四二年六月二一日頃から同年七月三日頃までの間、交通局の業務の正常な運営を著しく阻害する争議行為等を行い、右訴外人らは、それぞれこれに関与した。

よって、訴外中島ほか一二名の任命権者である同交通局長芳賀茂之は、同年八月二日、右訴外人らに対して請求の趣旨記載の如き懲戒処分を行なった次第である。

(二) 本件争議行為等に至る経過

(1) 原告は、昭和三八年二月一〇日、門司、小倉、八幡、若松、戸畑の五市が合併して誕生した。そうして原告は、旧若松市が経営していた交通事業を承継し、その主体をなす自動車運送事業は、若松区を主体に、周辺各区、及び水巻、芦屋の各町の一部を営業範囲として当該地区住民の足としての役割を果している。

ところが、石炭産業の衰退、マイカーの増加、その他各種の社会的外部要因に加え、適正運賃への改定遅延、人件費の増大、支払利子の増加等の内部要因により、原告の交通事業は、すでに旧若松市当時である昭和三五年頃から経営状態が悪化(赤字の発生)していた。そうして、昭和三八年度には四億八、七〇〇万円余の累積赤字を示すに至った。

(2) 原告は、このままでは企業の存続が不可能となるので、昭和三八年九月、財団法人生産性九州地方本部の企業診断をうけ、その結果を参考として、昭和三九年度には一三項目からなる再建計画を策定した。その骨子は、路線延長、運賃改定、経営の効率化、経費節減等であったが、更に翌四〇年度には民間の学識経験者等による交通事業審議会を設置し、その答申を得て、実現可能なものから実現にうつす経営合理化の努力を重ねた。

(3) その結果、単年度赤字の若干の減少をみたものの、企業要建の期待はとうてい持てず、累積赤字は逐次増大して、昭和四〇年度末は八億八、四二九万円、昭和四一年度末は一〇億四、三〇四万円と単年度の予算総額にも匹敵する額に達した。また毎年の賃上げによる人件費の増加は、特に経営を圧迫して、人件費は昭和四一年度において運送収益の八五%に相当する額となった。

(4) 地方公営企業は、地公企法第三条に経営の基本原則が示され「常に企業の経済性を発揮するとともに、その本来の目的である公共の福祉を増進するように運営されなければならない」。しかし、前述の如く原告の努力にもかかわらず、自主再建の見通しはつかなかった。

もっとも、これはひとり原告の交通事業のみならず、全国公営交通事業の経営状況は大なり小なり悪化していたのである。

かかる情勢に対し国は、同法を昭和四一年七月に改正して「第七章財政の再建」の規定を設けた。

この規定に基く再建を行うときは、不良債務相当額の財政再建債を発行して一時的に資金不足を解消でき、財政再建債は再建計画期間内に分割返済する必要があるが、年三分五厘を超える利子部分は国の補助をうけることができる。

そのほか、その財政再建計画の内容と法の趣旨に則り、市の一般会計からの補助をうけることもでき、市議会の積極的な援助の見通しもあったのである。

そこで原告は、前述の如き交通事業の現状にかんがみ、この法による財政再建以外に、交通事業再建の途はないと判断した。そこで原告は、昭和四一年一二月同法第四三条一項に基く市議会の議決を経て、自治大臣にこの法に基く財政再建を行なうとすることを申出て、昭和四二年一月一日付をもって、指定日の指定をうけた。

(5) 財政再建計画の概要

地公企法による財政再建は、自治大臣が指定する日の属する年度(本件では昭和四一年度がそれに当る)及びこれに続くおおむね七年度以内に不良債務を解消し、財政の健全性を回復するよう、財政再建の基本方針、各年度で解消する不良債務、不良債務を解消し財政の健全性を回復するための具体的措置、財政再建債の各年度ごとの償還額を財政再建計画で定めなければならない(同法第四三条二項)。

ここでいう不良債務とは、同法第四三条一項でいうそれであり、昭和四〇年度末の原告の交通事業の不良債務は七億九、五九五万円であった。

そこで原告は、運賃改定(受益者負担)、市の一般会計からの繰入れ(全期間中に五億円)、国の財政再建債利子(年七・三%)中年三・八%の利子補助、経費節減の企業努力を四本の柱として計画案を作成した。

前記の経費節減に関する主要事項は、乗合自動車のワンマン化(車掌一二〇名程度の削減)、運賃精算方式の改善(整理券方式採用)、業務の委託化による非乗務員二一名の配置転換、適正な給与体系の確立(行政職給料表一本の適用を改め、企業職給料表第一、第二表に改定)、軌道事業の民間委託等である。

(6) そうして原告は、当初一二年計画案を作成したが、計画の承認を求めるため自治省と事前協議を行う過程で、地公企法の「指定日の属する年度及びこれに続くおおむね七年度以内」(同法第四三条二項)の趣旨にそった九年計画とすることを求められた。

原告は、財政再建計画期間の短縮は、毎年度の不良債務解消額が変ってくるなど、計画内容に若干の変更は生ずるが、再建が早く終了する利点もあるので、自治省の指示通り九年計画とすることに踏み切った。

(7) 労使協議の経過

地公企法第七章による財政再建(以下法再建という)が、職員の労働条件変更等を伴う事項を含むので、原告はできるだけ、労働組合との意見一致をみて再建計画を行いたいと配慮し、昭和四二年二月二五日付で、参加人北九交通労組と事前協議制に関する協定を締結し確認書を交換した。

協定は、労使間において職員の労働条件について事前に協議することにより民主的平和的な解決を計ることを目的とし(第一条)、事前協議機関として交通事業改善委員会を設置し(第二条)、同委員会において意見の一致をみるに至らなかった事項はあらためて団体交渉の対象とし、双方最大限の努力をして円満解決を計る(第四条二項)というものであった。

確認書は、右協定第四条二項の解釈につき、当局は労使が合意に達しない限り再建計画に関連して提案された合理化事項を一方的に強行実施せず、組合は審議拒否をしないことを確認したものである。

原告は、直ちに交通事業改善委員会を設置し、昭和四二年二月二七日第一回委員会を開いた。

ところが参加人は、その審議において、再建計画中最大の柱である運賃改定と給与体系の改正について絶対反対の意思を表明した。

原告は、再建計画の提示後右事前協議協定締結の前から一八回の団体交渉、五回の三役交渉及び事務折衝を行い十分に誠意をつくして事情を説明し、更に協定後は一二回の事業改善委員会開催その他誠意をもって組合と協議を続けた。

しかし、参加人は、再建計画への協力の約束(参加人は事前協議協定を締結し昭和四一年度ベースアップ問題が解決すれば、再建に協力すると約束し、前者は前記の如く締結され、後者も昭和四二年三月一〇日解決されていた。)を守らず、更に、昭和四二年三月一一日に参加人は確認書をもって同月三一日を目標に計画内容を煮つめ、市議会の議決が得られるようにするとした約束にも反して、再建計画に反対する態度に終始し、いたずらに協議を延引させた。

他方前述の如く、原告は、一二年計画を九年計画に短縮せざるを得なくなって、その経緯を、昭和四二年四月一〇日、事業改善委員会で説明し、九年計画案をまとめて同年六月七日の同委員会に提示した。参加人は、原告が右計画変更にあたり、労働条件に影響を及ぼすことを最少限に止める努力をしたにもかかわらず、計画変更自体を攻撃し続けるので、原告はやむなく、同月一五日これを市議会に提出した。住民の信託をうけて地方公営企業を経営する原告として、企業の健全化をはかるのは、当然の責務であり、組合の協力が得られないからといって企業の危機を放置するのはとうてい許されなかったからである。

なお、地公企法による財政再建計画は、同年三月までに策定すべきであったところ、組合との交渉難航により、同年五月の臨時市議会まで自治省に猶予して貰っていた。ところが、五月市議会に提出することもできなかったので、六月市議会ではどうしても財政再建計画の議決を得て自治大臣の承認を得る必要があった。

これに対して、参加人は、労使の事前協議制に関する協定違反と主張し、反対行動に突入した。原告は右協定の趣旨にそって、市議会議決後も労使の協議を続けて意見の一致をみたものから実施したいと要請したのに、これも拒否された。

(三) 違法争議

参加人は、昭和四二年六月一一日頃から本庁舎及び整備工場にある整備課事務所に合理化反対等のビラを多数貼付し、更に同月一五日、戦術委員会で同月二一日ないし二三日の超過勤務拒否闘争、同月二七日ないし同年七月一日の超過勤務拒否闘争及び完全点検闘争、同月三日のストライキを決定し、当局の警告を無視してこれを実施した。その具体的事実関係は、以下述べるとおりである。

(四) 昭和四二年六月二一日から同月二三日までの間の状況

(1) 参加人は六月二一日から同月二三日までの三日間、第一波実力行使超過勤務拒否斗争と称し労働基準法第三六条の規定にもとづく協定(以下「三六協定」という。)の締結を拒否し、北九州市立養護学校スクールバスおよび福岡行き定期便を除く全ての部門で超過勤務を拒否し争議行為を行なった。

北九州市交通局においては運行ダイヤの編成にあたっては事業管理者への諮問機関として労使双方の委員によって構成されるダイヤ審議委員会の審議を経て定められていたが、本件紛争当時の公示ダイヤは参加人側の同意のもとに一日約九勤務の超過勤務ダイヤを組み入れており、超過勤務拒否が行なわれれば正常なダイヤ運行に支障をきたすことは労働組合も充分承知のうえでこれを争議行動の手段として行なったのである。

(2) 六月二一日前述のとおり参加人が超過勤務を拒否したので整備関係の勤務時間外の整備作業が困難となり、当局としては何とかして業務の正常な運営を維持しようとして、いすず自動車、ニッサン自動車、ふそう自動車の各デイーラーに整備業務を依頼した。またこのことを参加人に申し入れたところ小林書記長は「デイーラー整備員の入構は認めない。あえて入構を強行するなら実力をもって阻止せざるをえない。」と答え各営業所においてデイーラーの派遣した整備員の入構について次のとおり妨害した。

イ 二島営業所関係

同日午後三時三〇分頃当局の要請に応じてふそう自動車のデイーラー整備員二名が来たが、構門付近にて別城登、丸山靖雄両執行委員外組合員六~七名が整備員の車の前面にピケを張り横に長椅子を二脚並べ整備員の入構を阻止した。これに対し石田整備課長が両執行委員らに整備員の入構を妨害しないよう再三にわたり申入れたが聞き入れず結局整備員を入構させることができなかった。

また同日午後四時頃日産自動車のデイーラー整備員が来たが構内付近で山田洸義、丸山靖雄両執行委員が直接整備員に「入構されては困る」などと云って入構を阻止した。

ロ 折尾営業所関係

同日午後四時頃当局の要請に応じて、いすず自動車北九州支店のデイーラー整備員三名が整備作業を行なうべくやってきたが、田中康信執行委員は「組合が承認していないのにデイーラー達を中に入れて作業させることはけしからん」「デイーラーの者をスト破りに入れることは不都合だ。絶対阻止する」などと抗議し、整備員が乗ってきた車が動くことができないように組合員と共に取巻き入構を阻止した。

ハ 小石営業所関係

同日午後四時三〇分頃、二島営業所で入構できなかったふそう自動車のカーデイーラー整備員をつれて小石営業所に来た阿部管理係長に対し菅坂弘之執行委員外組合員一五~一六名が取巻き激しく抗議し、入構を阻止した。

(3) 六月二二日折尾営業所において二番勤務の運転手が出勤せず超過勤務拒否により代行者を充てることができなかったことから松山営業所長が欠行ダイヤを代替乗務し一回目のダイヤを運行した後、二回目のダイヤを運行するため乗務しようとしたところ田中康信、川原憲治両執行委員が「管理職による運行は認めないことを組合の機関で決定している」と抗議し、松田職員課長が再三にわたり運行を阻止しないよう申し入れたがききいれず、やむなく松田職員課長は松山営業所長に乗務を命じ運行しようとしたが、組合員一〇数名がバスの前面にピケットを張り運行を阻止した。

このため松田職員課長は運行を強行すれば怪我人が出る虞れがあるので運行を断念した。この結果二番勤務のその後のダイヤは欠行した。

(4) なお参加人は許可なく局庁舎等にポスター、プラカード類を掲示結着することは庁舎管理規程により禁止されていることを知りながら六月一一日頃から本庁舎の屋内外の窓、屋内の壁、廊下等および整備工場にある整備事務所の屋内外の窓や壁などに合理化反対に関するものあるいは職制を個人的に中傷もしくは攻撃するものなど多数のビラを貼付し当局の再三にわたる撤去要請、撤去命令にもかかわらずこれを無視し続けた。

このような事態に際して当局は撤去命令が実行されないので、ビラを貼付した参加人の手を借りずに庁舎管理規程第六条の規定によって当局の費用で外部から作業員を雇い入れ、撤去作業を始めたのである。これに対し参加人は激しく抗議し作業を妨害し撤去作業を中止させるに至ったのである。

すなわち六月二二日午後一時頃から松本庶務係長が作業員と共に本庁舎のビラの撤去作業を始めたが、多数の組合員がおしかけて「何故剥ぐのか」等と云って松本係長らに激しく抗議し、そのような状態に外部から雇い入れた作業員もおじけづいてしまい撤去作業を中止せざるを得なくなった。

同日折尾駅前案内所に出向いていた撤去作業の責任者の高崎庶務課長に対し、田中康信、川原憲治両執行委員外組合員一〇数名が「何故ビラ撤去を指示したのか、中止させよ」などと云ってビラ撤去作業の中止をせまり激しく抗議した。

同日午後一時頃整備工場の整備事務所において石田整備課長が作業員に指示をしてビラの撤去作業を始めたが、小林博司書記長、丸山靖雄執行委員外組合員四名が来て作業員がビラを剥いでいるのを中止させ、石田整備課長に対し激しく抗議し、石田整備課長は「組合が庁舎管理規程に違反して無断で貼ったものだから撤去する。」と云ったが丸山らは激昂し大声で抗議を繰り返し、石田整備課長はやむなく撤去作業を断念した。

また当局がビラ撤去を中止した後の午後四時頃丸山靖雄執行委員ら組合員一四~一五名は整備課事務所に来て、石田整備課長が強く制止したにもかかわらず、同事務所の窓硝子に五〇~六〇枚のビラを貼付した。

(五) 昭和四二年六月二七日から七月一日までの間の状況

参加人は六月二七日から七月一日までの五日間第二波実力行使、超過勤務拒否、車両の完全点検斗争と称する争議行為を行なった。

超過勤務拒否斗争は前述のとおりである。

完全点検斗争は次のような方法で行なわれた。

北九州市交通局においては出庫前三〇分間乗務員を始業点検に従事させることと定めており乗務員は局所定の始業点検表に従い車両を点検し、運行管理者に結果を報告し確認または指示を受けることが義務づけられている。

ところが右期間において参加人は完全点検斗争と称して運転手が行なう始業点検にことさら執行委員を加え運行にまったく支障のないささいな欠陥をとりあげ完全に修理整備しなければ運行させないとしつように抗議し出庫を遅らせたりあるいは出庫を不能にしたりしたものである。

イ 二島営業所関係

七月一日午前五時三〇分頃から山田加寿彦副執行委員長、別城登、山田洸義両執行委員の三名が順次出庫する車両について各運転手と共に始業点検を行ない三~四台の車両(ツーマン用)についてパイロットランプ(乗降扉のドアの開閉を示す)の点滅不良をみつけ、志水営業所長に対し修理しなければ出庫させないと云ってきた。志水営業所長は「パイロットランプの点滅不良は何ら運行には差し支えない」と出庫を命じた。しかし上記三名の組合役員はあくまでこれを容れずその結果バス運行に欠行をもたらした。

ロ 小石営業所関係

六月二十七日午前五時すぎ志水営業所長が点検斗争に備えて代車にするつもりで二島営業所から貸切用バスを運転して小石営業所に赴き車を構内に入れたところ、脇岩男執行委員は車のキーを預っておく、代車には使わせない旨云って車両のキーをはずして所持し続け、志水営業所長がキーの返還を求めたが拒絶した。

七月一日午前五時二〇分頃から午前八時頃までにかけ菅坂弘之、脇岩男両執行委員が順次出庫する車両について各運転手と共に始業点検を行ない四~五台の車両についてバッテリー液が不足しているから液を補給しなければ運行できないと鶴丸営業所長に対し云って来た。鶴丸営業所長はバッテリー液は定期的に整備課の方で点検補充しており運行に支障のない旨云いわたしたが、菅坂弘之、脇岩男両名はバッテリー液の補充をしなければ運行させないなどと云って運行阻止した。

(六) 昭和四二年七月三日の状況

参加人は財政再建計画案が市議会で議決される予定の七月三日に第三波の実力行使、休暇斗争、超過勤務拒否斗争と称して多数の組合員が一斉に休暇をとりダイヤの大巾な欠行を生じる争議行動を行なった。

これに対し当局は業務阻害を目的とした休暇申請については承認しない方針を決定し、その申請を拒否したのであるが、参加人はその承認を強要し各営業所等において次のような紛争を生じさせた。

イ 小石営業所関係

七月二日午前九時半頃から営業所事務室において、菅坂弘之、脇岩男両執行委員外多数の組合員が鶴丸営業所長および大庭係長を取り囲み、七月三日の休暇承認を要求して激しく抗議を行なった。午後一時頃まで「休暇を認めよ」「認められない」との応酬が続き、午後一時半ごろ高崎庶務課長が来所し同人と菅坂、脇ら組合員との間で同じようなやりとりが続いた。鶴丸営業所長らは「病気の者は病気休暇として認めるので医師の診断書を提出するよう」指示したが、菅坂、脇らは「診断書料がいる」「日曜日で診断書がとりにくい」などと云って鶴丸営業所長らの指示を受け容れず、休暇申請をそのまゝ認めるよう要求した。

午後三時に至り鶴丸営業所長らは組合側の激しい抗議に抗しきれずやむなく休暇を承認した。

七月二日午後二時すぎ、小石営業所において鶴丸営業所長は七月三日の同営業所のワンマン五番勤務の乗務員が欠員となることを知り、七月三日が休日の予定となっていた北九州市交通局新労働組合所属の渡辺運転手に休日振替による出勤を命じた。

七月三日午前四時四〇分頃菅坂弘之、脇岩男両執行委員ら組合員多数が鶴丸営業所長に対し「労働組合が超過勤務拒否斗争として三六協定の締結を拒否しているときであり、渡辺運転手の振替勤務を取り消すよう」要求して激しく抗議した。鶴丸営業所長らは「渡辺運転手の振替勤務は休日の振替えによるもので休日出勤でない。三六協定の有無にはかかわりない」旨反論したが組合側の激しい抗議に抗しきれずやむなく渡辺運転手の振替勤務を取消した。

ロ 二島営業所関係

七月二日午前十時頃別城登執行委員外組合員二〇名が本庁舎二階事務室において松田職員課長、和泉自動車課長および志水営業所長に対し、七月三日の休暇を承認せよと激しくせまり、松田職員課長が「七月三日は労働組合が休暇斗争を予定しており、業務に支障をきたすので、当日の休暇は承認できない」と承認を拒否したのに対し激しく抗議を繰り返し、休暇承認を強要し、松田職員課長らはつるしあげの中で抗しきれずやむなく当日の休暇を承認した。

七月三日午前五時頃点呼場において、別城登執行委員外数名の組合員が当日の年次有給休暇の承認を激しく要求し、志水営業所長が「当日は労働組合の休暇斗争が予定されており、また超過勤務拒否が行なわれているので、交替勤務者がいないので期日を変更するよう」と繰り返し述べ当日の休暇承認を拒否した。これに対し別城ら組合員は「病気の者はどうするか」と詰問し、和泉自動車課長が「病気の者は乗務させるわけにいかない」と答えると、すかさず別城は休暇申請の理由を病気のためと書き替えるよう組合員に指示し病気を理由にした申請書を一括して志水営業所長に提出した。志水営業所長は病気の者は医師の診断書を添えて病気休暇の申請をするように云ったが、組合員らは「早朝で医師は起床していない」「初診料等がいる」等といって激しく抗議を続けこのため午前七時頃志水営業所長らは長時間の組合側の激しい抗議に抗しきれずやむなく当日の休暇を承認した。

ハ 折尾営業所関係

七月三日午前四時二〇分頃から中島定樹執行委員長、小林博司書記長、田中康信、川原憲治両執行委員外組合員多数が松山営業所長、松田職員課長に対し、当日の休暇承認を激しく要求し、松山営業所長が「当日の年次有給休暇は認められない」「病気の者は医師の診断書を付して病気休暇の手続をとるよう」申し渡した。これに対し組合側は「従来から病気理由の年次有給休暇を認めているではないか」「他の営業所では診断書がなくても年次有給休暇を認めているではないか」などと激しく抗議し、午前七時すぎ、松山営業所長らは長時間の激しい抗議に抗しきれずやむなく休暇を承認した。

ニ 整備課関係

七月三日午前四時三〇分頃から午前八時二〇分頃まで整備課事務所において別城登、丸山靖雄両執行委員、山本和夫中央委員外組合員多数が石田整備課長に対し、当日の休暇不承認について激しく抗議し、その際山本和夫中央委員は激昂し、石田整備課長の机の上にあった木製の補職名札を手にして机の上を激しくたたき机上のガラスを破損した。

以上述べたとおり、それぞれの期間において労働組合の争議行動が行なわれた結果、次のとおりバス運行に欠行を生じた。

月日

欠行回数

欠行率

六月二一日

七一、〇

八、〇四

二二日

七五、五

八、五五

二三日

三七、〇

四、一九

六月二七日

七五、〇

八、四八

二八日

七六、〇

八、六〇

二九日

三四、五

三、九〇

三〇日

五八、五

六、六二

七月一日

五六、五

六、四〇

二日

一三、〇

一、四七

三日

三二五、〇

三六、七九

注 一日当り総回数八八三、五回

そこで、訴外北九州市交通局長は、以上の参加人及び訴外中島ほか一二名の行為が、同市交通事業の業務の正常な運営を阻害する行為であって、地方公営企業労働関係法(以下地公労法という)第一一条一項に違反し、北九州市交通局就業規程第九〇条一一号(別紙の通り)、地方公務員法第二九条第一項第一、第三号に該当するので、前記の如き争議の計画、指導及び実行を行った執行委員長もしくはその他の役員である前記訴外中島ほか一二名に対し、昭和四二年八月二日付をもって、請求の趣旨第一項の如き懲戒処分を行った。

なお、被告は、本件救済命令において、訴外山田洸義、同丸山靖男、同末次五郎が昭和四二年七月三日の争議(被告のいわゆる第三波で、被告は後記の如くこれを違法とした)に参画関与した事実が証明されていないというが、本件争議の具体的計画が執行委員会及び戦術委員会で決定され、実施されたのは明らかで、上記三名は執行委員として、または戦術委員会のメンバーとして、他の委員らと七月三日の違法争議の実行計画に関与し、指導的役割りをはたしたことは明らかである。

5  以上要するに、被告は、本件救済申立を審理し、命令を発するにあたり、被申立人適格を誤った違法があるので、本命令は重大かつ明白な瑕疵を有し無効である。また、仮りにこの主張が認められないとしても、訴外中島ほか一二名に対する本件懲戒処分は適法に為されたものであるのに、その事実関係を誤認し、法律上の判断を誤って救済命令を発した違法がある。よって、その取消しを求める。

《以下事実省略》

理由

一  請求原因事実1は当事者間に争いがない。

二  本件救済申立の被申立人適格を争う原告の主張について

不当労働行為救済命令は、当事者間に権利・義務の存否を確定するものではなく、不当労働行為の主体に一定の作為、不作為を命ずるものである故に、労働(雇傭)契約関係の主体のほか、事業所の代表者で救済命令を履行し得る立場にある者も被申立人となり得る。

訴外北九州市交通局長(芳賀茂之)は、原告が地公企法の適用をうける地方公営企業として経営する交通事業の管理者(同法七条)であること、訴外中島ほか一二名が原告に雇傭され、原告が右管理者の権限に属する事務を処理するため設置している交通局に勤務している一般職に属する地方公務員であり、参加人の組合員であること、右管理者が昭和四二年八月二日、右訴外人らに対して請求の趣旨の如き懲戒処分を行ったことは当事者間に争いがなく、本件救済申立はその懲戒処分が不当労働行為に該当するという主張に基くものである。

してみると、右市交通局長は、当該懲戒処分をその名において為した者であり、かつ同人は、地公企法第八条、第九条に基き、職員の任免、懲戒その他その地方公営企業の業務を執行し、それに関して原告を代表するものであるから、本件懲戒処分の取消その他原状回復に必要な行為を為す権限も有する。

よって、右交通局長は、本件救済申立の被申立人適格を有し、この点に関する原告の主張は理由がない。

三  原告の交通事業の財政再建計画について

《証拠省略》をあわせると、以下の事実が認められる。

1  原告は、昭和三八年二月一〇日、旧北九州五市合併により成立し、旧若松市の交通事業も承継した。その主体を成す自動車運送事業(バス)は、若松区全域、戸畑、八幡各区の各一部、遠賀郡水巻町、芦屋町の各一部を営業区域として、昭和四二年当時バス保有台数約一五〇輛、職員数約六〇〇名、一日の利用客は平均して約八万人であった。そうしてその営業区域は、若松区は独占、それ以外は一部訴外西日本鉄道株式会社のバス路線と競合していた。

この交通事業は、旧若松市営時代、昭和二六ないし三三年度の間、累計二億四六〇〇万円の利益金を同市一般会計に繰入れるほどの成績をあげていた。しかし、その後赤字が続いて、昭和三七年度は年間一億円を超える欠損を出し、原告による承継後も赤字が続いて、自主再建の検討が行われるにいたった。

2  そのため、原告は財団法人生産性九州地方本部の意見を参考にし、一三項目の再建計画を作成し(三九年度)、運賃を改訂し(四〇年度)、経費節減等につとめたが、なお、昭和四〇年度においても一億六〇〇〇万円の赤字をみた。

昭和四一年七月、地公企法の改正により、同法による財政再建(法再建という)の道がひらかれるに及び、原告は、これによって交通事業再建を行うことを検討した。

法再建は、地公企法の適用をうける公営の自動車運送事業等で、実質上収支が均衡していないもので、昭和四一年三月三一日において不良債務を有する場合、当該地方公共団体が地公企法第七章による財政再建を行うことを希望する場合に行われる。その際、当該地方公共団体は、当該地方議会の議決を経て、昭和四一年一二月三一日までにその旨を自治大臣に申出て「指定日」の指定をうけなければならない(同法第四三条一項、同法施行令第三一条)。

指定日の指定をうけた当該地方公共団体は、指定日現在において地公企法第四三条二、三項の定めるところにより財政再建計画を定め、当該地方議会の議決を経て自治大臣の承認をうける必要がある(同法第四四条)。

前記の不良債務とは、地公企法第四三条一項、同法施行令第三〇条により計算され、おおむね流動負債額から流動資産額を控除したものにあたる。原告の交通事業の場合、昭和四一年三月三一日現在の不良債務は七億九五九五万円余であった。

法再建を行うと、右不良債務に相当する財政再建債を起して(同法第四五条)、その支払に充て、一時的に資金不足が解消される。

この財政再建債は、財政再建計画に従って逐次償還を要するが(同法第四六条)、年三分五厘を超える利子部分は、一定の限度で国の利子補給がある(同法第四七条、同法施行令第三二条)。

それまで交通局は、資金不足をおぎなうため、原告の一般会計からの借入れのほか、一般の金融機関からも短期の借金をして、毎年度借り替えのかたちで更新しているような状況であったから、法再建は有利な財政再建方法であり、これによってすみやかに財政再建を行うことは、地公企法第三条に定める経営の基本原則にそうわけでもあった。

そのかわり法再建にはいると、財政再建計画は厳しく遵守することを求められ、企業体の予算編成もまず財政再建計画に従ったものでなくてはならないから、企業に勤務する職員の給与その他勤務条件にも重大な影響を及ぼすものであった(地公企法第五〇条、地方財政再建促進特別措置法第二一条参照)。

3  原告は、法再建によることの意向をかため、昭和四一年一一月、財政再建計画期間を一二年とする計画案を作成した。この期間が長すぎるということで後に自治省の指摘をうけることになるが(地公企法第四三条二項参照)、原告は同年一二月七日、交通局長名で参加人にこの計画案を示し、協力を求めた。その内容は、請求原因4の(二)の(5)に記載の通りで、参加人が協力を求められたのは、ワンマンカーへの移行、運賃精算方式の改善、運賃改訂、非乗務員約四〇名の配置転換、自然退職及び配置転換による車掌約一二〇名の削減、給与体系の適正化等であり、更に、女子車掌優遇退職制廃止、高令者退職完全実施等であった。

更に原告は、同年一二月二二日、市議会の議決を得て、自治大臣に交通事業につき法再建を行うことの申出をし、自治大臣は地公企法第四三条一項の指定日を、昭和四二年一月一日と指定した。

財政再建計画は、右指定日の属する年度及びこれに続くおおむね七年度以内に不良債務を解消し、財政の健全性を回復することを要請されているから(同法第四三条二項)、初年度は昭和四一企業会計年度となり、財政再建計画の自治大臣による承認(同法第四四条)も、同年度内(昭和四二年三月三一日まで)になされることの一般的要請があった。

そこで、原告は、参加人に前記協力要請のあと、直ちに団体交渉、三役交渉を重ねた。この交渉は、昭和四一年度給与改訂問題もからめて行われたが、参加人は、財政再建問題については、事前協議協定の締結を求めた。

その後約九回の団体交渉とその間の三役交渉の結果、昭和四二年二月二五日、別紙記載の「事前協議制に関する協定」とこれに関する「確認書」が合意の上作成された。

これによると参加人は、右計画案の内容も了知の上、基本的に協力することを約束したことになるが、原告も、参加人所属の組合員の労働条件に関係を持つ財政再建計画部分の実施は、参加人の同意がない限り原則として協約上はできないことになったわけである。してみると、この時点で、参加人が前記財政再建計画の内容を全て承認したとはいえず、協約上は交通事業改善委員会(以下委員会という)や団体交渉での協議に委ねられたことになった。

その後、原告の交通局と参加人は、委員会または団体交渉を通じて財政再建計画案を検討した。

そうして、昭和四一年度給与改訂問題も、昭和四二年三月一一日には労使間で解決し、参加人は、同日付確認書(甲四)をもって、同月三一日を目標に、計画内容を煮つめて、四月臨時市議会で議決が得られるよう協力すると約束した。

原告は、自治省と交渉して、三月市議会では財政再建計画案の議決を得られる見込みがないので、一時延期することの諒承を求め、期限の猶予を得た。

4  その間、自治省は、期限は猶予しつつも、事前検討の結果、一二年計画は地公企法第四三条二項の「指定日の属する年度及びこれに続くおおむね七年度以内」の要件に反し、このままでは承認できないとの結論に達して同年四月上旬、原告に対し、これを八年ぐらいの計画に変更せよと指示した。

他方参加人は、右一二年計画を検討し、運賃改訂と給与体系改訂には反対であるが、その余のワンマン化、新運賃精算方式、職員減員等には一応同意し、具体的実施については労働条件低下を来たさぬよう更に検討を行う旨の意向を固め、四月四日「一二年計画についての事業改善委員会における組合の最終回答」(甲一〇)として原告に提出した。

原告は、その直後にあたる四月一〇日、右自治省の指示を参加人に告知し、あわせて自治省との折衝経過を説明した。

ちなみに、参加人が運賃改訂、給与体系改訂に反対して来たことの故をもって、直ちに前記財政再建計画に反対していたという結論にはならない。即ち、参加人は、これまでも運賃改訂(値上げ)には反対して来たが、これはもともと管理運営事項(地公労法第七条)に属し、組合内部でもこの点に重点を置いての実力阻止等の意向はなかったし、このことは原告も察知していたと推認される。給与体系の改訂は、これまで事務職・現業職とも一本の給与表であったものを、分離するのが内容であったから、分断・差別の政策であるとして反対は強かったが、双方共これは検討の余地を残すとみていたし、参加人が基本的には協力姿勢を示していたことはすでに述べた通りである。なお、右一二年計画は、いわゆる革新系市長時代に作成されたものであり、原告には昭和四二年三月一日付でいわゆる保守系の現市長が就任した。

5  その後四、五月の間、委員会は参加人の要請にもかかわらず再開されず、他の問題をふくめた団体交渉、三役交渉において、参加人から右期間短縮問題についての質疑等が為なされたに止ったが、原告はその間、自治省の指示には従わざるを得ないとの結論に達して、部内であらたに財政再建計画(計画期間九年)を作成した。

そうして原告は、昭和四二年六月七日に開かれた委員会で、参加人に対し右新計画案を提示し、協力を求めた。ところが原告は、同時に同月一五日から予定されていた六月市議会に右新計画案を上程して議決を得るべく、すでに職員に配布する議案書にもこれを登載していたので、その姿勢が参加人の反撥を買うこととなった。

即ち参加人は、新計画が事前協議をつくさないまま市議会で可決され、その後は交渉の余地がなくなることをおそれ、事実新計画によって、各年度に解消すべき不良債務額が増大しているので、具体的実施段階において労働条件への更に不利益な条件が加わることをおそれた。

6  原告は、六月七日と八日の委員会で右新計画案を説明し、新らたに新計画に伴う特殊手当廃止等の協議を求めた。しかし参加人は、協議前に新計画を議会に上程しようとする原告には、事前協議の原則を貫く基本姿勢が失われたとして右新計画の市議会における審議に反対し、計画全体を事前協議にひきもどすことを求めた。なお、参加人がこのような態度をとったもう一つの理由として、原告が新計画の実施段階において、直ちに給与表の分離を行い、また時間外勤務もできるだけなくしてゆく(手取り賃金の減少)旨の意向を明らかにしたこともあった。

そこで参加人は、六月一一日頃から抗議行動として市民を対象とする財政再建計画反対の署名活動や原告に対する抗議ビラの貼付等の文書活動をはじめたほか、以下述べる如き争議に突入した。

以上の通り認めることができ(る。)《証拠判断省略》

四  参加人の争議行為について

1  《証拠省略》によると、訴外中島定樹は執行委員長、同矢野満敏、同山田加寿彦は副委員長、同小林博司は書記長、同山本を除くその余の訴外人らはいずれも執行委員であった。また参加人には大会に次ぐ議決機関として中央委員会があり、訴外山本和夫は構成員たる中央委員であった。右のとおり認めることができ、この認定に反する証拠はない。

2  《証拠省略》によると、参加人は、同年六月一六日、被告に対し、原告市交通局長芳賀茂之を相手方として、前記事前協議協定等の尊重等に関するあっせんの申立をした。被告は、同月一九日、右申立に基き、労使間の諸取決めは尊重せらるべく、前記協定や確認書を無視する如き態度は極めて遺憾である旨、及び労使が更に協議を重ねて、交通局は市当局及び市議会に対し労使間正常化のための適当な措置をとるよう努力することを切望する旨の勧告を発した。これに対し、同交通局長は、同月二一日、右協定書等は企業存続のための経営合理化を労使が最大限に努力して達成することを大前提として作成され、当局は労働条件のみにしわよせすることなく財政再建の目的を遂げるよう計画案を策定したこと、しかし参加人は積極的に協力せず、計画の重要部分(料金改定、ワンマンカー導入、給与体系改訂)に強く反対していること、従ってその行為は協定そのものをふみにじるもので、当局は職員及びその家族にとっても死活問題につながる企業維持のため、緊急避難的措置として、再建計画議案を六月市議会に上程する手続をとったと回答した。この認定を左右するに足る証拠はない。

3  争議の準備

《証拠省略》をあわせると、参加人は昭和四二年六月始め頃から、全組合員の投票によるストライキ批准の準備をはじめた。ところで参加人は、地公労法の適用をうけ、その組合規約に同盟罷業を行う場合の規定はないが(地公労法第四条、労働組合法第五条二項八号参照)、参加人は労組法第五条二項八号の規定に準じて同月一〇日頃、全組合員の投票を行い、投票率九一・四六%、賛成八六・六五%をもってストライキを行うことを決定した。そうして、具体的戦術として、原告側の対応とにらみあわせて実施することを前提に、戦術委員会において、同月二一日から二三日まで超過勤務拒否、同月二七日から同年七月一日まで完全点検闘争を付加、同月三日に超過勤務拒否と一斉休暇闘争を行うことを決定した。

この認定を左右するに足る証拠はない。

4  財政再建計画の可決

順序は前後するが、その間の市議会での財政再建計画案の審議状況をみると、《証拠省略》によると、右議案は六月一五日市議会提出後、予算特別委員会の審議を経て同年七月三日の本会議で可決承認された。この認定に反する証拠はない。

5  参加人が右の間、超勤拒否、完全点検、一斉休暇の各闘争を行ったことは、当事者間に争いがない。

(一)  昭和四二年六月二一日から二三日までの争議

右争いなき事実と、《証拠省略》をあわせると、本件当時交通局では超勤が恒常化し、超勤拒否があれば平常のダイヤ運行に支障を来たす状況にあったこと、そのダイヤ編成には参加人側も参加していたこと、この状況のもとで参加人は、本件交渉難航が予想されるや、昭和四二年四月頃からいわゆる三六協定を一日ないし数日間の期間を定めて締結、更新しつつ事態の推移をみていたこと、同年六月一五日原告が財政再建計画を市議会に上程するや三六協定の締結、更新を拒否していわゆる超勤拒否闘争を実施することとし、市立養護学校スクールバス、福岡行き定期便を除いた部門で組合員の時間外勤務を拒否させることとし、請求原因4の(四)の(1)の通り争議を行った。もっとも整備関係職員は午前八時から午後四時までの勤務であったが、乗務員は担当ダイヤにあわせた個別の始・終業時間の定めをされていたから、この闘争によって直ちに早朝、夕方又は夜間のダイヤ全てが運行不能となるわけではなかった。この認定を左右するに足る証拠はない。

(イ) デイラー整備員の入構拒否

以上認定の事実によれば、本件超勤拒否は、単に組合員に超過勤務をさせないことを目的としたのではなく、前記の如く超勤が恒常化された勤務状態の下で参加人が原告の業務を阻害すること(争議)を狙ったことは明らかである。

《証拠省略》をあわせると、請求原因4の(四)の(2)の通り、訴外小林、同別城、同丸山、同山田(洸)、同田中、同菅坂らは、各営業所において、原告が依頼した各デイラー所属の整備員の入構就労に対し、あるいは抗議し、あるいはピケッティングした。その結果、デイラー整備員の入構就労者はなかった。

しかし、その間に暴行、脅迫と認めるに足る行為はなく、デイラー整備員中には明らかに組合員の協力要請に応じて引揚げたと認められる者もあり(六月二一日折尾、訴外田中勇内、同藤井某、同原田某)、そのピケッティングも平和的説得の域を出ていなかったし、原告側管理職もしいて入構を強行することなく引揚げたものと認められる。

《証拠判断省略》

(ロ) 松山営業所長の代替乗務阻止

《証拠省略》をあわせると、六月二二日、折尾営業所で、松山営業所長の運転しようとするバスの前面に、組合員一〇数名がピケッティングをし、訴外田中、同川原が抗議をし、松田職員課長をして運行を断念するのやむなきにいたらしめた事実は請求原因4の(四)の(3)のとおり認めることができる。

そのピケッティングは、組合員らがバスの前に背をむけて立ち塞がり、車掌はステップに上ったが松山所長はそれも出来ず、松田課長が管理職による運行は違法ではないと言っても「乗り越えて行くなら行ってくれ。」と答えて動かなかった。訴外田中、同川原らは、機関決定によって管理職の乗務も認めないと言い張り、訴外小林も松田課長からの電話に同旨の回答をした。

《証拠判断省略》

(ハ) ビラ

《証拠省略》をあわせると、参加人が六月一一日頃からビラを庁舎等に貼付し、撤去命令をきかず、かつ原告の撤去作業を抗議して妨げたこと、原告主張の如きポスター等を規制する庁舎管理規程があること、これに訴外田中、同川原、同小林、同丸山らが直接関与したこと、について、請求原因4の(四)の(4)のとおりこれを認めることができる。

参加人は、本庁舎(交通局)の屋内外の窓、屋内の壁、廊下、整備工場内の整備事務所の屋内外の窓、壁等に糊で、「合理化反対」「ゼニクレ」「課長のくせに小さい事を色々言うな」とか、あるいは特定の管理職名をあげて「止めよ」「出て行け」とか書き込んだビラを貼付けた。特に管理職名を記載したビラの一部は、廊下の床面に貼付け、人がその上を踏んで歩くようにした。

更に参加人は当局の撤去作業を妨害阻止しただけでなく、そのあと原告主張の如き貼増しをしたことも認められる。

この認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  昭和四二年六月二七日から七月一日までの争議

《証拠省略》をあわせると、この間参加人は前同様の超勤拒否と同時に完全点検闘争として、ことさら入念に仕業点検をし、些細な欠陥を問題にして出庫を遅らせたり出庫をさせなかったりしたこと、訴外山田(加)、同別城、同山田(洸)、同脇、同菅坂が直接関与したこと、及びその具体的行為は、請求原因4の(五)の通り認めることができる。

勿論これも単に交通安全の配慮から入念に仕業点検をしたわけではなく、実質的には業務阻害(争議)を行おうとするものであった。そのように理解しなければ、訴外脇が志水営業所長の代車準備を妨害した趣旨が判らなくなる。

パイロットランプについて

自動車運転者は、出庫前に定められた仕業点検票による仕業点検をして、その結果を記入の上、異状の有無を報告し、上司の確認又は指示をうけなければならない(服務心得第四二条、第四三条参照)。

しかし、その点検票にパイロットランプの記載はなく、本件車輛はワンマンカーでなかったので、ドアの開閉は車掌の管理するところであり、服務心得上も運転者は車掌の合図に従って、自動車の操縦をすることになっていた(第四一条)。よって、志水二島営業所長は、運行に差支えないと判断したが、なお同日の仕業点検で同種の故障車が三、四台発見されている事実にてらすと、同所では、そのような車輛も通常運行されていた事実も推認されないではない(ワンマンカーでない場合)。

バッテリー液について

これも仕業点検票にはなく、運行に差支えるほど液不足があったとは認められない。

《証拠判断省略》

(三)  昭和四二年七月三日の争議

この日は前記の如く市議会における財政再建計画案採決の日であった。

《証拠省略》をあわせると、参加人は、超勤拒否に加えて年次休暇闘争を実施した。そのため生じた具体的紛争並びにこれに訴外菅坂、同脇、同別城、同中島、同小林、同田中、同川原、同丸山、同山本らが直接関与したことは、請求原因4の(六)に記載の通りである。

更に、若干の点について述べると、参加人は、七月一日迄の争議終了の後、事態を検討したが、七月三日の本会議可決を指向する原告の態度がかわらなかったため、同日の戦術委員会で、当日の争議を行うことを決定した。

すなわち、当日休暇闘争によって約五割の不就労を実現することを目標に、「年次休暇は権利として取るのであって何人も侵害できない」とか「要求時に与えなければ不当労働行為にもなる」とか教宣し、乗務員中の全闘争委員、非乗務員中の闘争委員及び一般組合員中の指名された者は年休を申請すること、その余の組合員もなるべく年休を消化することを要請した。

勿論この年休申請も、当日の本会議における財政再建計画案可決を目指す原告を、事前協議にひきもどすことを目的とした争議手段であって、自らの事業所における業務阻害の効果を求めたものであった。

従って、原告は、これを通常の年休申請とは扱わず、これを認めない方針を定め、病気休暇にかわる年休申請も診断書がなければ認めないこととした。

その結果前記の如く各営業所で紛争が発生した。

特に、小石営業所における渡辺運転手の振替勤務は、通常の乗務順から生じた欠員操作で、当日の休暇闘争とは関係がなく、しかも同人は非組合員で振替勤務を承諾していたので、参加人がこれを阻止する理由は見出せないものであった。しかるに参加人側は、当日早朝に出勤していた鶴丸営業所長を取りかこみ、午前四時四〇分頃から午前八時頃まで激しくしつように抗議を続け、振替勤務取消しをさせた。

その他同日、訴外別城は、二島営業所運行管理代理者と管理職による代替乗務につき打合わせ中の石川自動車課主査に対し、管理職によるバス運行は組合指令により阻止すると申向けて打合わせを中止させた。

また訴外矢野は、若松渡場で、代替運行すべくバスを回送して来た志水二島営業所長に「組合員が議会行動から帰って相当に興奮している」「バスを運行すると問題になる」等と申向けて運行をやめさせた。

《証拠判断省略》

(四)  争議の結果

《証拠省略》をあわせると、右争議の期間中、ダイヤの不規則運休が続き、乗客にある程度の混乱を生じたが、その欠行率は、六月二一日八・〇四%、二二日八・五五%、二三日四・一九%、二七日八・四八%、二八日八・六〇%、二九日三・九〇%、三〇日六・六二%、七月一日六・四〇%、二日一・四七%、三日三六・七九%であった。

この認定を左右するに足る証拠はない。

五  地公労法第一一条一項について

1  地公労法第一一条一項は、その文理上企業職員及び組合に対して一切の争議行為といい得るものを禁止しているかにみえ、同第一二条は、その違反に対する不利益賦課として、前条に違反する行為をした職員は解雇することができるとする。そうしてまた地方公務員法第三二条は職員に対して法令等に従う義務を課していて、同法第二九条一項は同法に違反した職員につき免職を含む懲戒処分ができることを定める。

本件において訴外中島ほか一二名は、地公労法第一一条一項違反(及びこれをうけた北九州市交通局就業規程第九〇条一一号該当)の理由により、地方公務員法第二九条一項一、三号により懲戒処分をうけたわけである。

2  しかし憲法第二八条は、勤労者に団結権、団体交渉権その他の団体行動権(主として争議権と解される)を保障し、地方公営企業職員を含む公務員も原則的にこの保障をうけることは明らかである。

そうしてその趣旨は、憲法第二五条にいう生存権の保障を実質的ならしめるため、同第二七条一、二項とあいまって、勤労者に対し、使用者に対する実質的な自由、平等を確保する手段を与えることにある。

即ち、憲法は、勤労条件等の決定は、労使の自主的交渉に委ねるべきものとし、その場合経済的に弱い立場にある勤労者に労働基本権を保障して実質的な平等を維持させるのが最も合理的であるという原則を採用していると解される。そうしてその場合、憲法第二八条は、団結権、団体交渉権及び争議権を一体として保障することにより、はじめて労使の実質的対等が実現されるという原則を示しているものと解される。

勿論いかなる基本的人権も、他の基本的人権との関係で無制約ではあり得ず、労働基本権も例外ではない。しかし、労働基本権が手段的権利であるからといって、憲法がこれを保障した右の趣旨にてらし、簡単に他の手段による代置を認めるべきではないであろう。

3  地方公営企業に勤務する公務員の職務は、一般的にみて地方住民の共同利益に密接に関連し、争議によってそのなすべき地方公営企業の業務が停廃すれば、当該住民の福祉を害するおそれがあることはいうまでもない。

この点は、他の地方公務員、更には国家公務員にも共通する性格であるから、概括して述べると、公務員は国民全体の奉仕者であって(憲法第一五条二項)、その任免は国民に由来する(同条第一項、第九三条二項等参照)。公務員の給与その他の勤務条件は主権者たる国民が国会又は地方議会を通じてその基本を決定し、給与その他の労働条件につき団体交渉権、協約締結権を法律上保障する公共企業体等労働関係法、地公労法等も予算、国会、条例あるいは地方議会からの制約を認めている(憲法第七三条四号、第八三条、地方自治法第九六条一項一、二号、第二〇四条三項、第二〇四条の二、国家公務員法第六三条一項、地方公務員法第二四条六項、第二五条、公共企業体等労働関係法第八条、第一六条、地公労法第七条、第八条、第一〇条等参照)。

これらは、労使間の交渉のみで労働条件の決定をなし得る私企業の労働者と異る公務員の特殊性であり、この基本となる勤務条件法定主義、財政民主主義は公務員の労働基本権を制約する要素であろう。

4  しかし公務といってもその性格、内容によって公共性に強弱があり、公務員の担当する職務ないし業務についても差異があり、争議行為の内容、結果も様々であるから、公務員の争議による公務の停廃によって生ずべき国民又は地方住民の共同利益の侵害の態様、程度も夫々同一でないことは明らかである。

更にいえば、公務員の給与その他の労働条件が、公務員が奉仕を義務づけられている主権者たる国民の意思によって定まるものであっても、憲法は法律や条例によって細部にわたってこれを決定することを要求しているものではなく、大綱は法律や条例で定めるとしてもその範囲内で、実施面における裁量の余地を残すことは可能であり、憲法がかかる余地も認めていないと解する根拠はない。

そうして、これは単に、立法政策の問題のみならず、現行法制下においても法律、条例、予算の範囲内で政府ないし自治体側と公務員の組合が具体的な労働条件について事実上協議をなし、あるいは文書で協定を結んでこれを実施する余地はあるし(国家公務員法第一〇八条の五、一項、二項、地方公務員法第五五条一項、二項、九項、一〇項等参照)、そうして更にはまた協議結果を政府や自治体首長を通じて国会、地方議会の議決に反映させること(事実上の効果として)も可能であって(予算、法案、条例案の提出等)、これを認めたとしても国会や地方議会の権限を侵すことにはならないであろう。

5  そうだとすれば、くりかえすことになるが勤労条件等の決定は労使の自主的交渉に委ね、その交渉において労使の実質的対等を実現するために、団結権、団体交渉権、団体行動権を保障しようという憲法第二八条が原則的に公務員にも適用されることを認めるものである以上、公務員の労働基本権に対する制約は、これを認めるとしてもその保障の趣旨を全く没却することは許されず、結局その重要性にかんがみ、前記4前段の諸事情を衡量しつつ、必要やむを得ない場合について、合理性の認められる最少限度の制限であるべく、違反に対する不利益賦課も必要な限度を超えず、また制限する場合にはこれに見合う代償措置が講じられるべきであるということになる。

6  地公労法第一一条一項は、前記の如くおよそ一切の争議行為を禁ずるかにみえる文言である。従って若し本条項を争議の全面一律禁止の規定としてのみ解釈運用しなければならないとすれば、本条項による労働基本権の制約は、前記5の条件に反し、著しく合理性を欠き、違憲であるか、もしくはその疑いが極めて強いということになる。何故ならば、公務員の特殊性に応じて争議権を制約するにせよ、その態様には多くの方法が考えられるのに(労働関係調整法第三五条の二、第三六条ないし第三八条、電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律第三条、船員法第三〇条等参照)、争議主体、争議態様その他前述の条件を顧慮することなく全面一律に争議を禁止することは、憲法第二八条による労働基本権保障の趣旨に甚だしく背馳するからである。

7  このように考えると、地公労法第一一条一項は、地方公営企業の業務もしくは職員の職務の公共性の強弱、争議行為の種類、態様、規模等を考慮し、労働基本権の尊重保障によって実現される法益と争議行為を禁止することによって保護される法益を衡量し、なお住民生活全体の利益を害し、住民生活への重大な障害をもたらし、もしくはそのおそれがあるものとして合理的判断により禁止すべき行為を禁止したものと解釈するのが相当である。

地公労法第一一条一項は、右の如く解釈せらるべきものであり、そのように解釈するならば、同条項は合憲であって、同条項の解釈に関する原告、参加人のこれに反する主張はいずれも採用できない。

六  不当労働行為の成立について

1  本件争議行為の検討

本件昭和四二年六月二一日から二三日まで、同月二七日から七月一日まで及び同月三日の参加人及びその組合員(訴外中島ほか一二名を含む)らの行動が、超勤拒否、安全点検、あるいは年休要求と、いろいろ名目は違っても要するに自らの事業所における業務阻害を目的とした争議行為ないしはそれに付随した争議手段であったことは、前記認定の事実にてらして明らかであり、その意味で年休申請も労働者の私的生活上の必要に基くものではなく、その実質はストライキであった。

そこで、右期間に発生した個別の紛争の評価は別として、以上の争議行為が地公労法第一一条一項で禁止された争議行為に該当するかどうかを判断する。

前記認定にかかる本件交通事業の規模、市民利用度、独占の度合い(第三項1)、争議の規模、態様(第四項5の(一)ないし(三))、争議の結果(第四項5の(四))、本件争議に参加した参加人所属の組合員らの職種(乗務員、整備員主体)等を検討するに、その期間において延べ九日に及び、争議の性質上ダイヤの運休が不規則に生じたため、乗客の混乱もある程度発生した事実はあるが、本件交通事業の内容は民間企業のそれと異るところはなく、その独占状態等を考慮しても公共性の度合いは特段に強いとはいえず、本件程度の争議を禁止してまで守らなければならなかったほど地方住民の共同利益に対する侵害が重大であり、住民生活への重大な障害があった(もしくはそのおそれがあった)とは考え難い。

従って、本件争議行為が地公労法第一一条一項によって禁止された争議行為にあたるとは認められず、全体としてみるときは正当な労働組合の活動であったと判断するのが相当である。

2  本件争議期間中に発生した個別の紛争について

前記認定にかかる紛争のうち

(イ)  六月二二日折尾営業所における松山営業所長の代替乗務阻止(訴外田中、同川原、同小林関与)、

(ロ)  六月二七日小石営業所における志水営業所長に対する代車準備阻止(訴外脇関与)、

(ハ)  七月三日小石営業所における渡辺運転手振替勤務阻止(訴外菅坂、同脇関与)、

(ニ)  七月三日整備課事務所における訴外山本のガラス破損行為

は正当な組合活動とは認め難く違法評価をうけざるを得ないが、これと不当労働行為との関係は後述する。

その余の争議手段ないし紛争について。

デイラー整備員の入構就労拒否については違法とするほどのものがなかったことは前記の通りである。

ビラ貼りに関しては、その手段方法に若干穏当を欠くものがあったことは否定できないが、前記の如く全体としての争議そのものが違法とは認められない以上、直ちに争議時の文書活動として正当性を否定することは相当でない。なお、本件認定の程度のビラ貼りで、建物の効用を減損せしめたとも認められない。

点検闘争についてもこれが通常の業務のうちで行われたものであるなら格別、原告が地公労法第一一条一項の争議禁止を文言通りに全面一律禁止と解して組合による一切の争議行為を認めない立場で臨んでいたわけであるから、参加人はこれに対していわゆる順法闘争のかたちで争議を行ったものと推認される(この認定に反する証拠はない)。従って、就業命令に対する抗議活動のかたちで業務阻害が行われたことは自然のなりゆきであり、その中に暴行脅迫にわたる行為がない限り(これを認めるに足る証拠はない)特に違法と目すべきものはない。

年休闘争についても点検闘争と同旨の理由により、特に違法と目すべきものはない。

もっともその日に、訴外別城及び同矢野による管理職代替運行に関する紛議が生じているが、これは松山所長に対する乗務阻止や渡辺運転手の振替勤務阻止ほどの激しさ、しつようさは認められず、争議中の言動としては特に不当とはいえない。

3  原告は、前記の如く訴外中島ほか一二名に対する懲戒処分を行ったが、その主たる理由は同人らが夫々組合役職にある者として企画、指導して行った本件の争議が全体として地公労法第一一条一項(及びこれをうけた北九州市交通局就業規程第九〇条一一号)に違反ないし該当する点にあったことは疑いがない。

本件争議中には、前記の如く違法評価を免れない若干の個別行為は認められるが、その不当性は、原告が争議そのものの違法を主張して為した争議対策に対する行為として考えれば、おおむね軽微であり、本件懲戒処分を為した真の理由は原告の主張は別として、かかる不当性の軽微な当該個別行為にあるとは認められないからである。

してみると、本件懲戒処分は、右訴外人らが夫々組合の役職にある者として昭和四二年六月二一日から同年七月一日までの間にいわゆる三波にわたる争議を企画、指導関与して実施した点に決定的な動機があったというべきである。そうすると、その争議が全体としてみる限り、地公労法第一一条一項の禁止する争議行為に該当せず、従って参加人組合の正当な行為と評価される以上、本件懲戒処分は、労働者が労働組合の正当な行為をしたことの故をもって為された不利益取扱いであると認めるのが相当である。

七  本件救済命令の正当性

そうだとすると、被告が本件懲戒処分が労働組合法第七条一号の不当労働行為を構成すると判定して発した本件命令は結果において相当であり、これを取消すべき瑕疵は認められない。

八  よって、本訴請求は理由がないから、これを棄却すべく、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 岡野重信 裁判官 中根与志博 榎下義康)

<以下省略>

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